リポート |
8月15日
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西鉄天神より23:00発高速夜行バスに乗る。スリッパ、毛布の備え付きあり。座席は、2列+2列で快適な乗り心地とはとは言えない。
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8月16日
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予定通り鹿児島本港に着く。時間はたっぷりあるが、先ずトッピーののりばを確認。下りたところはトッピーののりばターミナル前、すぐ近くだ。一安心。朝食にサンドイッチ・菓子パン購入。
屋久島に向けてトッピーに乗る、窓から三角錐の開聞岳を眺める。何時か登ってみたい山だ!。
宮之浦港に着く。予約していた、まつばんだタクシーが、名前を書いたプラカードを持って迎えに来ていた。新婚旅行と勘違いした(笑)。ターミナルで登山計画書を提出。また、5月より予備コースの荒川登山口からの帰りはシャトルバスの切符を事前に購入しないと乗れないので、購入した(払い戻しは出来る)。
タクシーにのり最後の宿・民宿たんぽぽに着替えなどを預け、途中今日の昼食を購入。
約1時間で淀川登山口に着く。
目に飛び込むのは、豆腐岩など巨岩・奇岩と白骨化した巨木、これが屋久島だ。
花之江河湿地はホットする。日本庭園のようだ。
ここから、石塚小屋に向かう、今までの道とは違って、ワイルドな道だ。道は荒れていて、道には水が流れている。スパッツはどうしょうかと思ったが、もうすぐと思い、そのまま進む。
途中の丸太橋を渡る。妻はそのまま渡ったが、私は下流をヤブコギで渡った。水場から小屋まで遠いと聞いていたので、ここで水をくむ。その先を進む、時間は早かったが、木の陰で暗く、ハシゴあり、遠く感じる。岩陰に水場があり、あと3分山小屋の案内あり、ここで水を用意すれば良かった。やっと小屋に着いた、誰もいない。貸し切りだ。食事の準備は手前3分ぐらいのところの明るい見晴らしの良い岩の上でする。初めての山でのご飯炊き、家でと同じような時間で炊いたが、ゴッチン、でも2合二人で完食。おかずはレトルト玉子丼、中華丼。
食事中に、前日白谷山荘に泊まった青年が来た、今夜の宿泊は私たちと3人。
日の当たっているトイレには蠅が一杯。鼠はいない。 |
8月17日
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石塚小屋発。
丸太橋は避けて、こんどは二人ともヤブコギで通過した。
今日も昨日に続き、快晴、風は爽やか。日頃の行いがよいからだろう(?)。
昨日の花之江河に戻り、うっとりと景色を眺め休憩する。ここで水を補給し、登山道を進む、待てよ登山道を流れている水は、花之江河に流れていた。シマッタと思ったが、次の水場まで予備として持っていく。
予定にはなかったが、ザックを置いて黒味岳を目指す。岩場があり、数カ所に黒い色の軽いロープがある。宝満山のクサリはかなり重いが軽いので登りやすい。
手前の岩のピークを頂上と間違えたが、その奥に頂上があった。快晴、見晴らしが360度、宮之浦岳・永田岳、2つのピークが鮮やかに浮き立ってそびえる。頂上では達成感と、澄み切った空気に触れ幸せを体全体で感じる。
ザックの1Lのペットボトルは、途中水を満タンに補給し進む、天気が良いせいか喉が渇く、こまめに水を飲む。Nさんから7月に屋久島に来た時、ヘリコプターで二人運ばれたことらしい情報があった。「脱水症状でないか、に気を付けよう。」とメールを貰った。
投石平で小休止。眺め良し、ここで 最初にO君と出会う。
ここを出てから、野生の鹿と初めて出会う、人間を無視して葉っぱをむしゃむしゃ食べている。デジカメに納めた。タクシーの運転手の言葉が横切る、「鹿にあったら石を投げて下さい」は出来なかった。しかし地元では鹿が増えすぎて困っているとのこと。
ガスが出てきた、安房岳・翁岳は視界に入らなかった。霧の中に浮かぶ栗生岳を過ぎ、まもなく宮之浦に着いた。
宮之浦岳は霧の中、視界20〜30m、景色は何も見えない、霧が雨に変わってきた。雨具を付け、早めに下山。焼野三叉路へ向かって岩に添って左巻に進む、屋久島ササの中を進んだ、おかしいなーと思いながら進むと、宮之浦岳頂上に戻ってしまった。当然視界はない。気を取り直し焼野三叉路へ下った。
これから永田岳へ向かう、徐々に霧・雨がとぎれたり、霧に覆われたり、変化に富んでいる。途中水を補給、やっと永田岳の取り付けに着く、最期の登り口が解らない、岩をヤヤ左に巻き、ロープを見つけた。10m位の高度差だろうか。岩肌はざらざらして足の掛はよい。妻は躊躇して登頂を断念、一人で頂上に立つ。緑の宮之浦岳は白い雲の切れ間に鮮やかに浮かんでいる。下に妻がいるので早々にロープを下る。
鹿之沢分岐で記念写真を撮っている時、雨雲・霧がさしかかる、永田集落方面から太陽が霧のまにまに西日を差し込む。フト東の方向の宮之浦岳を見ると、なにやら動くものあり、もしやと思いストックを大きくかざすと、同じように動く「ブロッケン現象だ!」と少し自信が無かったが叫んでしまった。山人生とんびとんびの40数年になるが、ブロッケン現象との出合は初めてである。
永田岳を後にし、鹿之沢小屋へと向かう。雲も流れて陽が射さすようになった、この辺の石楠花は葉っぱが小さく、つぼみがもう付いている。話しによると、屋久島の石楠花は6〜8月につぼみが付いて、8月以降につぼみを新たに付けることはない、と聞いた。傾く陽を受けて右手にロウソク岩が浮かんで見えた。巨大なこけし人形にも見える。しばし休憩をとる。
陽もダンダン落ちてくる、足場もメーンルートのようでなく、悪い。雑木林の中に入ると、足下が暗い、ヘッドランプを装着、小屋までは長かった。やっと着いた時は、19:30。山の陽が落ちるのは早い、 チョット?大変無茶した。反省!反省!。
山小屋には先客「屋久島リンドウ調査隊」の7〜8名、小屋の前で食事中。コッヘルでのご飯の炊き方をおそわりながら、急いでご飯を炊き、昨日のゴッチンとは違って、ふっくら炊けた。おかずはレトルトカレーと差し入れて貰ったハンバーグ。お腹がすいて蒸らす時間も待ちきれず、二人で2合美味しく完食。
食事後、夜空は満天の星。星座の話しで夜も更ける。
小屋の中では酒宴に招かれた。しばし山のよもやま話をし、床につく。食料はザックの中に入れておくよう注意された、注意通り、夜中にガサゴソとザックの周りを走る音、鼠、ザックに穴を空けられたらと、心配したが、小さいので心配無かった。就寝。 |
8月18日
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昨夜は晴天、他のパーティのテントは夜露でびっしょり。
ササで濡れるのを防ぐため、雨具を付けて、出発。
朝日に浮かぶ爽やかなロウソク岩、昨日の夕日に浴びたロウソク岩と雰囲気が違って見える、なかなかの絶景。途中雨具はスパッツのみにする。
永田岳登頂はパスして、焼野三叉路に向かう、ガスが涌いてきたり、消えたり、途中永田岳を目指す7〜8人のパーティとすれ違う、その後進む、こんなに登りがあったカナ〜と思いながら。おや見覚えのある風景、大きな岩、やっぱりか、そのまま登って着いた所は宮之浦岳。昨日は2回、今日は1回、もう3回も登った。霧の中だったので、晴れるまでまとうか迷ったが、新高塚小屋へ早く着きたかったので、先を急いだ。焼野三叉路は7〜8人のパーティとすれ違ったところだった。失敗失敗!!。
人面岩(?)の平石展望台が目の前に現れる、傍らには鹿が葉を食べている、天気も回復し、牧歌的な縦走路。平石展望台では、日本全国を旅しているスペインの青年に会う。宮之浦岳・永田岳の見晴・展望、抜群、軽食、しばし休息、屋久島縦走を堪能する。
一路新高塚小屋を目指す。縦走路は風の強い鹿之沢小屋への道の石楠花と違って、背丈の高い石楠花に覆われている。開花時を想像しながら進む。やがて新高塚小屋に着く。
最初に寝る場所の確保をと思う、1階は人が入っているが、幸い2階は開いていたので、入口から入って、すぐ左2階4畳ぐらいのところに確保、トイレ、水場確認。時間は早いが外で夕食の準備、山小屋の出た所のテ−ブルが開いたので食器を並べ、周辺を散策する。ところが、ア 雨。急いで食器を片づけ、小屋の中でご飯を炊くことにする。小屋の案内板には、「火気使用は禁止」があったが、ゴメン、気を付けますからと心でつぶやきながら、ご飯を炊く。
鹿之沢小屋で教えて貰った通りにご飯を炊く。
1)コッヘルに米2合、水は米(無洗米)より人差し指の1と2の関節の中間まで。水につけておく。
2)強火で沸騰するまで。
3)沸騰したら中火、(でもかなりの火力)焦げの臭いが出るまで。
4)蒸らし、タオル2枚でくるんで、20分。
大成功、ふっくらと美味しく炊きあがる。
おかずはレトルト親子丼。美味しく食べようとしたが、私の胃が受け付けない。妻はぱくぱく食す。仕方なく予備のソーセージ、チーズカマボコを食べて様子み。やっと卵ぐらいの大きさのおにぎりを食べた。残りはおにぎり6個作って明日の昼食用に確保。
新高塚小屋では鼠のお客さんは来なかった。
夜中は、大雨の様子、明日はどうなるか?心配しても仕方がない,なるようにしかならない。 |
8月19日
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朝、雨。雨具を付けて小屋を出る。
高塚小屋は誰もいない、雨宿りの小休止し、デジカメで小屋の中からパチリ。雨の中ではデジカメは出しにくい。
縄文杉では、朝が早いので、誰もいない、二人締め。雨の中急いで写真を撮り早々に下る。
木道が滑らないよう慎重に下る。会う人も少ない。ところがギッチョン、縄文杉に向かう登山者ですれ違い出来ないので、道を譲る、いつまもで譲っていたら、何時になったら下れるのか心配になる。そこで登る人が切れる少しの間があると、「降りま〜〜す」と大声をだし、何回か道を譲って貰った。
雨の中、すれ違う人の中にあの黄色いサンダルのO青年に二回目の遭遇。
雨が止んだウイルソン株では、よそのパーティのガイドの案内を横で聞く、感謝。このガイドに「ハート」の写し方を教えて貰った(写す場所とフラッシュはたかないこと)。
トロッコ道の大株歩道入口についた時、もう下りはないと思うとホットした。でもトロッコ道は長い、橋にかかるトロッコ道は勢いよく流れる川、透けて見える橋、気持ちのよいものでは無かった。
小杉谷休憩所で雨宿り、胃の調子も良くなり、昨夜のおにぎり2個食す。休憩所の前に塩ビ管で引いて水道の蛇口から水がサンサンと出ている、少なくなったペットボトルの水をこの水と交換した。横に向いている木の名札を見直すと「飲料不適」の文字。水の豊富な屋久島で、何故、わざわざ飲料不適な水を、それも休憩所の前に引いてきたのか、解らない、ワカラナイ、(`ヘ´) 。しばらく歩いて水場を見つけて水を交換。
長いトロッコ道も終わり、荒川登山口に出る。シャトルバス、タクシーと乗りついで、民宿たんぽぽに着く。5日目の風呂は極楽極楽。夕食はトビウオなど魚・肉のバーベキュー、ビールと焼酎三岳で疲れた胃をいたわる。布団の寝心地良し。
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8月20日
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民宿たんぽぽを出て、フェリーの出港までの時間あるので、港まで買い物しながら歩く。たまたま、「屋久島環境文化村センター」を見つけ、屋久島の資料展示、映像をは大変参考になった。時間がある人は一度はみてほしいです。
時間になりフェリーにのる。
フトみると黄色のサンダル、そばにあのO青年。この短い期間に3回の遭遇。公務員を目指す大学3年生、国民の目線にタッタ、本来の公務員になってほしい。
鹿児島港に着く、予定の時間より20分おくれ、館内アナウンス無し。予定着16:00。高速バスは16:55。55分あるから充分と思ったが、フェリーの遅れ、またバスの乗り場はトッピーと違って離れている。離れているとは知らず、あわてて人に聞きながらバス停を捜した。
高速バスの座席、は2列+1列で、2列の方に予約してあった。くる時の2列+2列よりゆったりしている。
やがて福岡着。帰宅。 |
人とのふれあい |
大学3年生のO君
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大学3年生のO君 3日間 3回目の巡り合わせ。
最初は、16日、投石平 履き物が変わっていた。オランダ製(?)のサンダル、エスカレータでサンダルが挟まり大けがをしたニュースを1年〜6ヶ月前に聞いたことがあった、あのサンダル。色も黄色。目立った。先輩女性と二人ずれ、軽く挨拶を交わした。
2度目は、19日、雨の中、縄文杉から下る途中、登ってくる、あのサンダルが目に付いた、偶然。
3度目は、20日フェリーの中、丁度となりの場所になった、やっぱりあのサンダルが目印。
出身は、栃木県、私の出身は茨城県、U字工事の話しになる、O君の先輩だそうだ。
就職は公務員を希望で、今全国を自転車でまわっているとのこと、国民の目線にタッタ公務員になってほしいと思う。 |
永田岳の
屋久島リンドウの調査隊
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17日、日が落ちて、ヘッドランプを付けて、不安の内鹿之沢小屋に着いた。7〜8人のパーティが食事中。
早速、コッヘルでご飯の用意、昨日米がゴッチンだったと話すと、山でコッヘルでの米の炊き方の指南を受ける(私は先生と呼んでいた)。
1)水は、人差し指の第1関節と第2関節の間(北アルプスでは第2関節)まで入れる。
2)強火で沸騰。
3)沸騰したら中火で焦げの臭いがしたら、火から下ろす。
4)蒸らし(複数のタオルなど)20分。
腹が減っていたので、蒸らす時間20分が待てなかったが、まあまあ良くできた。
コッヘルでのご飯たきは、自宅で時間を計って3〜4回試験してきたが、時間は関係ないとのこと。
翌日、新高塚小屋では時間もたっぷりあり、ふんわり良くできた。
小屋の中では、アルコールに誘われ、山の話しに花が咲く。
山小屋仲間のふれあいが少なくなったが、この鹿之沢小屋は昔のままの良さが残っていると、センセイは話しておった 。
この一行は、鹿之沢小屋を基地にして永田岳山頂で希少植物の屋久島リンドウを調査中とのこと。 |
サンダル履きのスペイン人
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平石展望台、外国人が身軽な靴?サンダルにかかとにベルトを回したような履き物。本人は「ノープロブレム」と話す、日本全国を旅しているようだ。妻が「何処から来たのですか」と聞くと首をかしげている、そこで私が「フロム、カントリー」とカタカナで聞くと「スペイン」と帰ってきた。人の良い、日に焼けて精悍な青年だった。 |
名物ガイド
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荒川登山口からシャトルバスに乗る。乗り合わせたガイド、自ら「71才、ガイドなんばーは、a宦.もう1,000回縄文杉に登った」「黒味岳、永田岳のロープは自分がした」「汚水の運び出しもした。」と足下は長靴を履いて話していた。元気だ!。(年をとった人は聞かなくても自分の年齢を話すと聞いたことがある、年配者に年齢を聞くのは、一つのマナーかもしれない?)
石塚小屋への丸木橋は渡りにくいので何とかならないものかと尋ねると。「金は誰が出すのか、環境省はなかなか金を出さない、金があれば何とかする」。
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山でのマナー
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ガイドとさらに北海道の山での遭難の話しになった時、あの○ミューズ○ラベルの登山のガイドには、屋久島のガイドは付かないことに決めているとのこと。マナーが悪い。例として、「先発隊を送り山小屋やテント設営地のうち、自分たちのスペースを占拠してしまうので、トラブルが多かった。」と怒っていた。
こういう話しは、福岡の取引先の山好きから、○ミューズ○ラベルが、後から来る登山者を満杯だからと中から鍵をかけて、山小屋に入れなかったと聞いた。
また、福岡の山の道具店からは、閉め出したのは誰とは言わなかったが、屋久島で先に入ったものが、満杯だと中から鍵をかけて後から来る登山者を閉め出したと聞いていた。今回の縦走で無事山小屋に入れるか一番気になったことだ。
屋久島の山小屋は無人の避難小屋です。念のため。 |
装備重量
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♂ 11k ♀ 9k
着替えバック 4k(民宿たんぽぽに預ける) |